生と死について
2012年 01月 09日
おはようございます。佐藤です!!
早速のことながら、生と死について考えさせられる日が続いた。
人が生きること、逝くこととはそのハザマは何か?
三日の日にお墓参りに行ったとき、数珠の紐が切れて
石が散乱した。
「なんかあるのか?」と、
いやな気がしてたが・・・・
知り合いの方の父で、92歳のおじいさんがいます。
正月に「お餅が食べたい」と言い出した。
お婆さんは、ノドに詰めたら大変と思い
「お澄ましにして、あげましょうか?」と問うた。
お爺さんは
「いや、焼いてノリをまいて、食べたい」と言ったそう。
いやな予感は有ったものの、お婆さんはその通りにして、
小さくして差し出した。
しばし、台所に立ったその間に、その予感が当たって戻れば、
お爺さんはピクピクとして苦しんでいた。
救急車を呼んでも、時間がない。
子供たちも年賀で、出かけている。
「あ~~どうすればいいの?」と、
頭は真っ白けになった。
背中をドンドン叩いても変化はない。
お爺さんは苦しんでいる。
何を思ったか、
お婆さんは口を掴んで大きく開けて手を突っ込んだ!
しかし喉の奥はない!もっと下の方だ!
さらに手を奥まで入れた。
「あった!!」
何とか、取り出して一命を取り留めた。
お婆さんは、「あんなところまで手が入るなんて・・」と。
「あー、よかったねー」
と言ってた、その日に訃報を受けた。
別の知り合いで、62歳のご主人がお風呂に入って亡くなった。
次の日に、会うのを楽しみにしていたその方が・・・
死因は心筋梗塞。寒いところから急に温かいお風呂に入って・・・か?
葬儀には、数多くの方が来られていた。
生前の世に尽くした結果であろう。素晴らしい葬儀であった。
ここに、命と言うものがいかに、我々の日常にあるか。
人ごとではない。を、考えさせられる。
片や、ノドを詰めて、もうダメか!と思われる状況の中生かされる。
片や、死とは無関係で健康もいい病気すらない方が逝く。
このあたりの差は、なんだろうか?
運命だけか?
常々思うことがある。
人はこの世に、用が済めば向こうに呼ばれる。
そんな風になってると。
今回もそんな力が働いてるような気がする。
人は人を喜ばすために、幸せをあげる為に生かされている。
と聞くが、マッタクそうだと、最近は思うことが出来る。
人の喜びが、我が喜び。・・・それは自分のやった行為について
喜んで戴くときに、無上な幸せを感じる。と言うこと。
その役割を終えたとき、幸せに導かれるのでしょう。
いずれにせよ、長い人生の中でこれほど、
生きること、逝くことについて考えさせられたことはない。
生かされていることに・・・ありがとうございます
感謝fuku310
早速のことながら、生と死について考えさせられる日が続いた。
人が生きること、逝くこととはそのハザマは何か?
三日の日にお墓参りに行ったとき、数珠の紐が切れて
石が散乱した。
「なんかあるのか?」と、
いやな気がしてたが・・・・
知り合いの方の父で、92歳のおじいさんがいます。
正月に「お餅が食べたい」と言い出した。
お婆さんは、ノドに詰めたら大変と思い
「お澄ましにして、あげましょうか?」と問うた。
お爺さんは
「いや、焼いてノリをまいて、食べたい」と言ったそう。
いやな予感は有ったものの、お婆さんはその通りにして、
小さくして差し出した。
しばし、台所に立ったその間に、その予感が当たって戻れば、
お爺さんはピクピクとして苦しんでいた。
救急車を呼んでも、時間がない。
子供たちも年賀で、出かけている。
「あ~~どうすればいいの?」と、
頭は真っ白けになった。
背中をドンドン叩いても変化はない。
お爺さんは苦しんでいる。
何を思ったか、
お婆さんは口を掴んで大きく開けて手を突っ込んだ!
しかし喉の奥はない!もっと下の方だ!
さらに手を奥まで入れた。
「あった!!」
何とか、取り出して一命を取り留めた。
お婆さんは、「あんなところまで手が入るなんて・・」と。
「あー、よかったねー」
と言ってた、その日に訃報を受けた。
別の知り合いで、62歳のご主人がお風呂に入って亡くなった。
次の日に、会うのを楽しみにしていたその方が・・・
死因は心筋梗塞。寒いところから急に温かいお風呂に入って・・・か?
葬儀には、数多くの方が来られていた。
生前の世に尽くした結果であろう。素晴らしい葬儀であった。
ここに、命と言うものがいかに、我々の日常にあるか。
人ごとではない。を、考えさせられる。
片や、ノドを詰めて、もうダメか!と思われる状況の中生かされる。
片や、死とは無関係で健康もいい病気すらない方が逝く。
このあたりの差は、なんだろうか?
運命だけか?
常々思うことがある。
人はこの世に、用が済めば向こうに呼ばれる。
そんな風になってると。
今回もそんな力が働いてるような気がする。
人は人を喜ばすために、幸せをあげる為に生かされている。
と聞くが、マッタクそうだと、最近は思うことが出来る。
人の喜びが、我が喜び。・・・それは自分のやった行為について
喜んで戴くときに、無上な幸せを感じる。と言うこと。
その役割を終えたとき、幸せに導かれるのでしょう。
いずれにせよ、長い人生の中でこれほど、
生きること、逝くことについて考えさせられたことはない。
生かされていることに・・・ありがとうございます
感謝fuku310
by fuku-310
| 2012-01-09 05:07